
こんにちは〜!
大丈夫さんです。
本ブラで見つけた本で、また視野が広がる(目の前の世界がパーッと広くなる)経験ができたので皆さんに紹介したいと思います!
今回の記事はこのような方に向けて書いています!
- 正論を振り回す人にうんざりしている。
- はい、論破!!な感じが好き、論破されると腹たつ!!
- 視野を広げたいとかんがえている。
- 芸人のオードリーが好き。
- ロジハラ(ロジカルハラスメント)を受けている人。
このような方に対して、
- 正論って本当に正しいのでしょうか?
- 助けているつもりが、追い詰めてる事もあるかもしれないよ!
- 論破や正論で攻撃されたら、こういう風に考えれば「大丈夫」!
という事をお伝えしたいと思います。
では早速いきましょう!
今回、見つけた本はこちら
『ナナメの夕暮れ』著者:オードリー若林正恭さん
正論がもてはやされる時代

今回の記事のテーマである「正論」について若林さんはこのように言っています。
正論と断言が流行っている。テレビのワイドショーを見ていて、正論大喜利とでもいうような雰囲気を感じることが多々ある。
多様性の浸透の副作用なのか、正論を求める人が増えた気がする。
正直いうと、これ以上正論が強くなることがぼくは怖い。同調圧力や全体主義、そして排除の気配を感じてしまう。でもそれらは今後さらに強まると思う。
正論は多分正しい。でもおもしろくはない。
多様化された世の中では自分の正解に自信が持てなくなる。
なんとなく正しいことを言ってそうな、有名人のコメント、Twitterのアカウント。誰かの正論に飛びついて楽をする。
この文章を読んだときに、急に矢が刺さったように、「これは現代社会の様子を的確に捉えた文章だ」と瞬時に感じました。
多様化に伴って、さまざまな考えが世に出回ります。
- 「〇〇だから賛成」
- 「〇〇だから反対」
そういう意見が言いやすくなったと思います。
そして発信している本人たちは「絶対の自信から来る意見」と思って発言しています。
答えはイエスかノーしかないの?
最近になって、さまざまなSNSやYouTubeを始めとした情報発信手段が増えました。
そこで見られるのが、若林さんが言っている「正論」のぶつけ合いです。
どうしてこうもイエスかノーを戦わせあう必要があるのか。
イエスとノーの間にある「グレー」な部分はないのか。
僕はさまざまな「正論」のぶつけ合いを見てきて、こう感じることがあります。
一番危ないのは「自分が正義だと確信した時」
以前Twitterで見たことがあるのですが、
人間が一番残虐になるのは「自分は悪者だぜ!」と「悪に染まった時」ではなく、「(真偽はどうであれ)自分は悪者ではない、正義側だと確信している」時だという情報を見つけました。
これは戦争の起きている場所や、世紀末の状況だけではなく
「現代社会」でもよく見られる状況だと思います。
論破して気持ちよくなっている人、ロジカル(論理的)な意見で相手を組み伏せようとしてくる上司など、実は現代社会だからこそ、このような「自分を正義だと思い込んでいる」人が増えているような気がします。
正論マンやロジハラ上司・同僚との付き合い方

自分の中の正解と誰かの正論は根本的に質が違う。
もちろん人の意見など聞かないという極端な話ではないし、自分の意見を臆せず吐き出そうという単純な話でもない。
自分の意見は殺さなくてもいいということだ。
自分の正直な意見は、使う当てのないコンドームの様に財布にそっと忍ばせておけばいい。それは、いつかここぞというときに、大胆に行動してくれる。
この核心をユーモアあふれる文章で書かれていました。
相手の意見に対して、「いや、違うと思う。」「うう・・・グゥの根も出ない。」と思ったとしても、
自分の考えが「間違っているわけではない」ということに気付いてください。
そもそも自分はこう「正解」を考えたんだ。というだけで、すごいことです。
ちゃんと考えた結果、その「自分なりの答え」に至ったんですから。
その「自分なりの答え」は、いつかどこかのタイミングで「新しい発見やアイデア」になる日が来ます。
前にも言いましたが、「相手の正論に飛びつく、乗っかる」というのは「楽」なんです。
そうやって「楽」をしている人がかなり多いですが、なぜ楽だと感じるかというと、
「どうせ誰かが答えを出してくれるから、考えるだけ無駄」と思っているか「自分を否定しないで済む」という思考になっているのではないかと僕は考えます。
思考するということを諦めてしまったら、せっかくこんな大きな脳を持って生まれてきたのにもったいないです。
そして僕が本書を読んで「これだ!」と思った文章がこちら。
「共感できないけど一理あるかも」って脳がパッカーンってなるあの瞬間が好きなのにな。
この感じ。若林さんが代弁し、言語化してくれました。パッカーン!です。
自分の持っている考えとは真逆だけど、圧倒的な理由を考えた意見の素晴らしさを感じると「パッカーン」となる。あの感じが好き。
世界が広がった。ありがとう。と感謝したくなります。
正論マンやロジハラ上司・同僚には、このパッカーンを味わうための材料になってもらいましょう。
- 「なるほど・・・、そういう考えもあるのか!!すごい。」
- 「ムカつくけど、なんとなく説得力があるなぁ。なるほど。」
言い方が悪くなってしまいますが、「正論をぶちかましてくる人」はそれしか「答え」がないと決めつけています。
そこで彼らは「止まってしまった」んです。「止まることを選んだ」とも言えます。
ですから、その「彼らなりの正論」を材料にして、僕たちは「素敵な情報をありがとね。」と言って前に進みましょう。
「自分の意見」と「相手の意見」を組み合わせて、3つ目の新しいアイデアを持つことができます。
まとめ

相手は変えられないけど、受け取り手の「自分」は変えられる
どうしても、正論マンやロジハラをしかけてくる人はいます。
どの時代もマウントを取りたいのが人間です。
上記にもあるように、「多様化」が進んでいくと、どんどん自分なりの「正論」を持つ人が出てくるのは必然です。
この「正論」をどのように考えて、受け取るのかを試されているような気がしました。
そして、僕が導き出した答えは
「相手の正論」を受け入れて「おぉなるほど!!(パッカーン)」と自分の意見との「違い」を「楽しむ」ことができれば一番いいのかも!と思いました。

なんかちょっと今日の僕、真面目すぎ??

たまにはいいんじゃねぇの?

若林さんのようにものすごく「内省」する人の本を読むと、いろんな発見があって面白いからついついテンション上がってたくさん書いちゃう。

ちょろクマだな。

では、今回はこれで!
今回の記事、よかったなぁとか新しい気付きを得たよ!って方はコメントしていただけると大丈夫さん嬉しいです!
あと、TwitterでRTや感想付きの引用RTしてくれるとやる気が出ます!
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