この記事を読むと分かること
・アンチコメントや批判から自分を救う考え方が身に付く
・相手の一言で傷つくことが減る
・レジリエンス(心の折れにくさ)が高まる

こんにちはー!
大丈夫さんです。

あれ?なんか通知きてる。

大丈夫さん、いつもブログ読んでいます。
〇〇の件に関してコメントさせください。

うわー!コメントきたー!
どれどれ!?ワクワク

〇〇という発言は、〇〇の方にとっては不愉快に感じると思います。
〇〇という言い方は控えていただいた方がいいと思います。

あれ?怒られてる?

〇〇の情報源はどこですか?何か根拠はあるのですか?

・・・。

そういう発言は良くないと思います。それを聞いた〇〇人たちは傷つくと思うので謝罪してください。

なぜこういう結論に至ったのか、詳しく説明してください。
出来ないなら内容のない記事を量産しないでください。迷惑です。

勝手なことばかり書きやがって!

これはあまり信じない方がいい内容です。
皆さん気をつけてください。

・・・・・・。

うわあああああああああああああああ!!!

おい!
起きろ!大丈夫か!!

あれ?夢?

なんか夢でうなされてたようだけど、どうした?

なんかすごいアンチコメが来てた夢見てた・・・。
怖かった・・・。

なるほどな。

あ〜夢でよかった〜!!
アンチコメに限らず、自分の考えを誰かに批判されることってほんと怖いよね。
僕は結構引きずっちゃうなぁ。

まぁ、そうだな。

はぁ、でも社会に出たり、SNSを利用しているからにはかならず自分の考えに賛成してくれる人ばかりとは限らないよね。
こういうこともあるか〜ってすぐに振り切れれば良いんだけど。

じゃあ今回は俺が、「ポジショントーク」という考え方を教えてやる。
グッと気持ちが楽になるぞ!

本当!?
お願いオオカミさん!
立場によって考えることは変わる


お前、野球はやったことあるか?

まぁ、運動音痴の僕でも多少はあるよ。

じゃあ、お前がピッチャーになったとする。

いやぁあああピッチャーなんて出来ないよー!

いや、想像でいいから。

あ、そうなの?

さてじゃあ、お前は野球の試合中だ。
そしてピッチャーをまかされているとする。
ピッチャーとして、なにを考えることが大事だと思う?

えーと、投げる球種とか、盗塁されそうじゃないか、どこを狙って投げるか・・・とか?

そうだよな。
じゃあ、今度はお前がバッターだとしたら何を考える?

えーと、なんだろうなぁ。
相手の守備の穴を突きたいから、守備が弱いところに目掛けて打てるように集中するかな。あとはどのくらい出塁しているかによる。

そうだよな。
じゃあ今度は、外野の選手になる想像をしてみろ。
どんなことを考える?

えーっと、まずはチームメイトの位置を確認して、どっちに打ってきても対応できるような位置取りをして・・・。
あとはパワーヒッターだったら後ろに下がっておく、とか?

おう、いいじゃねーか。

これのなにが良いの?

気付かないか?
ピッチャー、バッター、外野、みんな同じ野球をやっている人間なのに「考えていることが全く違う」ということ。

そりゃあ、それぞれの「役割」があるもん、考えることが違うでしょ〜。
見てる視点がそもそも違うよ!

そういうことなんだよ。

え?どういうこと?

「役割(ポジション)」によって、視点も変われば、考え方も変わる。
ということは一つの出来事に対して、立場や環境が違うと「捉え方」はそれぞれになるってことだよ。
ポジショントークに気付けないと「ヤバい」発言になる


あ、そういうことか!

おう、これがポジショントークっていう考え方だ。
アンチコメや批判をする人はポジショントークをしているだけなんだ。

これが今回のテーマだね。

ポジショントークは、自分の立場や環境に由来した発言を行うこと。
人間には「裕福な人・貧乏な人」「資格を持った人・持っていない人」「都会に住んでいる人・地方に住んでいる人」「先輩・後輩」「上司・部下」など、さまざまな立場があるだろ。
その「自分が置かれた立場からの目線」で物事を捉え、発言をしてしまうんだ。

そっか、皆が同じ立場にいるってことはあり得ないってことは、「皆が物事を同じように捉えることは出来ない」ってことだね。

そういうこと。
それが「自分にとって当たり前な人」と「自分にとってそれが当たり前でない人」が生まれるのは必然なんだよ。

そっかぁー、確かに。

でも「批判」や「アンチコメ」をする人は、それに気づいていないから、「ポジショントーク」をしてしまうんだ。
自分の当たり前を他人に押し付けてしまう。
例を挙げて言うなら、自分がピッチャーというポジションについている時に「バッターや外野、観客全員が、ピッチャー視点で考えているのが当然。」と思ってしまっているということ。

いやぁ〜、よく考えたらヤバいね、それ。
そんなのあり得ないよ!

だけどこれがSNSや仕事などの場面になると、「当然のように」ポジショントークをしてしまう人がいるんだよ。
批判されたら「ただのポジショントーク」と思おう


野球の例で考えたら、ポジショントークの「おかしさ」に簡単に気付けるね。

だから批判されても深く落ち込むことはないってこと。
「あーまた、ポジショントークされたなぁ」と思っていればいいのさ。

ポジショントークをしてくる人は必ずいるけど、それと同じくらい「自分の発言に共感してくれる人」がいるよね。

ああ、そうだな。
そもそも批判や批評してくる人は、政治家や芸能人ならまだしも、俺らみたいな個人には「ほんの一部だけしかいない」ってことに気付いた方がいいな。
あとは「何を発言するのも基本は自由」ってことは、「なにを言われてもおかしくないってこと」も自覚しておいた方がいい。

そこで「批判」コメントに関しては「ただのポジショントークであることが多い」から「気にしないようにする」ことが重要だね!
なんかすごく元気出た!ありがとう!
まとめ

あ〜、なんかすっきりしちゃった〜。

ただ考え方をちょっと変えただけなのにな。

そうだね。でもほんとそれだけでも心って軽くなるものなんだね〜。

逆も言えるけどな。
捉え方の違いで、気持ちは天と地ほどに変わるぞ。

今回僕がそうだったように、アンチコメや批評などの「ポジショントーク」されて心がボロボロになっている人が、この記事を読んで楽になるといいなぁ。

ああ、俺もそう願うぜ。

では、今回はこれで!
今回の記事、よかったなぁとか新しい気付きを得たよ!って方はコメントしていただけると大丈夫さん嬉しいです!
あと、TwitterでRTや感想付きの引用RTしてくれるとやる気が出ます!
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